秘密主義を止めたい。

秘密主義は苦しい。


色んなことを気にしながら話さねばならないから、言葉、内容の検閲に時間がかかる。


なにより、チャンスを色々と失う。


こうなったのは、果たしていつからなんだろう。


さっぱりだ。


でも、相手の顔色とかを伺う癖は、大分昔からあった気もする。
うーん、気のせいかな。
それでも、自己中なとこもあったように思うし。


まあ、でも、自分の家庭の事とかは、子供の時から話せなかった。


何故か。
宗教をしてたからだ。


周りから変な目で見られることが怖かった。
まあ、そうやってビビってるほうが、むしろ余計に変だったのかも知れないけど。








だけど、自己開示はとんでもなく勇気がいる。
「自分の事について話して下さい」
とか、なんの罰ゲームだよ、て思う。


そりゃ、普通の人生送ってる人ならいいかもしれんが。 
私の場合じゃ、人並み以下のしょうもない人生を披露することになるから、
恥ずかしさと情けなさでメルトダウンしそうだ。


「え?そんだけ歳食ってその程度?」
みたいな声が聞こえてくる。
幻聴だね、うん。知ってる。
でも、もしかしたらそう思われるだろうな、て不安は消えない。




秘密主義になる根本的原因は、他者からの酷評が怖いからだと思う。


場合によっては弱みを握って、脅迫してくるかもしれない。
他者に言いふらし、不名誉な評価をもたらして来るかもしれない。
そして、そのような思惑を持つ相手かどうか見抜けなかったらどうするのか。


自分は大いに傷つくだろう。
それは、怖い。




だが。
落ち着いてみれば、この捉え方は片手落ちだ。


何故なら可能性の半分、ネガティブな側面しか注目していないからだ。


場合によっては強みを見出し、肯定してくれるかもしれない。
他者に知らしめて、素敵な評価をもたらしてくれるかもしれない。
そして、そのような相手だと見抜くことが出来たなら。


自分はきっと幸福になるだろう。
それはとても嬉しく、望ましいことだろう。




だから、むやみに自分を隠し続けるのも、あまり得策じゃない。
できる範囲で良いから自己開示をしていくほうが、結局は自分にも相手にもプラスになる。


そう言い聞かせている。
怖いのは相変わらずだけど。
やっぱり、否定されるのは怖いよ。






◆◆◆


ふと、閃いたことがあったのでメモ。


人に教えるには、自分がそれを3倍理解していなければいけない、とよく言われるが、
これは逆に、


人に教えることで、自分がそれを3倍深く理解することが出来る


とも言える。




これは自分自身についても同じだと思う。
人に自分の事を伝えるには、自分で自分の事を、他人の3倍は理解していなければならないが、


人に自分自身について伝えることで、自分がかえって己をそれまでの3倍深く理解することが出来るようになる、と言える。


結局、深い自己理解を得るには、何より他者の協力が必要だったのだ。


そんなシンプルな事に気づくことすら、こんなに時間が経ってしまった。


道理で自分が人より成長が遅れてるわけだ。


何せ3倍差がついてるのだから。
そりゃ無理も無い。