なぜ、私は生きてるのか。
何のために生きるのか?
それがよく解らない。
普通に考えたら、幸せになる為、だと思う。
でも幸せってなんだ?
私にとって幸せって何?
そもそも、私は本当に幸せになりたいのか?
そこからして疑わしい。
何故って、本当に幸せになりたいなら、こんなところでぐずぐずしてない。
とっくに行動してるはずだ。
なのに、私は今も、何も選ばず、
何も出来ず座り込んでる。
だから、今の私は、自分の幸せを望んでいるとは思い難い。
だとしたら、なぜ私は生きてるのか。
なぜ生きることを選ぶのか。
おそらくは惰性、そして逃避する為。
死ぬのは怖い。
でも、積極的に生きる気力も湧かない。
挑戦するのが怖いから、
挑戦が成功するとも思えないから、
成功を受け取るに値しないと思うから。
そんなしょうもない理由で、逃げている。
だから、消極的に、生きることにした。
そんな、傲慢な選択だ。
なんと不甲斐ないのか。
世の中には、私よりも、様々な面で追い込まれてる人もいるのに。
そんな人たちからすれば、今の私はまだまだ恵まれているのに。
それを知っていながら動けないなんて、
なんて情けないのか。
でも、待てよ。
だとしたら私は不幸になりたいのか。
不幸せに生きていきたいのか。
そういう事なのかな。
だとしたらだいぶイカれてるや。
変なの。
………
……
…
少し問答をしよう。
なあ、私よ。
君はどうして、不幸に生きようとするんだい?
「どうして?
それ以外に生きる道など無いだろう?」
へえ、そうなの?
不幸せになる道しか無いの?
「だって、そうだろう?
それ以外は許されないんだから。」
どうしてそう思うんだい?
「私には、幸せに生きる資格が無いからさ。」
資格が無い、ね。
それは誰が決めたの?
「勿論、私だよ。
私は、幸せになってはいけないんだ。」
何故?理由は?
「私には、他の誰をも幸せには出来ないからさ。
それどころか、私が生きているだけで、誰かの負担に、迷惑になるからね。
知っての通り、私には、優れた能力も資質も無い。
人としての魅力、趣きも無い。
誰かの役に立てないどころか、誰かの日常に彩りを添えることすら出来ないのだ。
加えて、他の人が当たり前に出来ることが、君には全然出来てない。
いつも誰かに助けられて、尻拭いをして貰ってる。
一人では、周りの為に何をすれば良いかも判らず、ただ指示待ち、主体性に欠けている。
そのくせ協調性にも欠けているね。
周りに協力しようとしない。
いつもオドオドして、自分からは何もしない。
いち社会人としては完全に落第だね。
そんな、社会にて役立たずの穀潰しには、幸せを求める権理は無いのさ。」
………なるほど、至極その通りだね。
納得だよ。
では、別の質問をしよう。
もし、私が幸せになっても良い、その資格がある、と言う状態に成った、と仮定しよう。
その時は、君は幸せになりたいと思うかい?
「……」
どうした?
「ありえない」
まあ、そう言わずに。
答えてみてくれ。
「……解らない」
………
……
…
こうやって書き出すと、大分頭沸いてんな自分。
メンタル病むとこうなるのか?
いや、それは他のメンタル病んだ人たちに失礼か。
おかしいのはあくまで私だ。
不幸せになるべきかは淀みなく語れるくせに、
幸せになりたいかは、自分では言えない。