何をしたいのかわからない。
やりたいことをやれ、と人は言うけども。
やりたいことってなんだ??
私は何がやりたいんだ??
自分のことなのに、さっぱりだ。
少なくとも、現実的なところはわからない。
まあ、可能性度外視でなら、思いつくものはある。
ただただ引きこもってたい。
そして、のんべんだらりと暮らしたい。
時々散歩したり、本を読み耽ったり、
童心にかえって遊んだり。
ぐうたら坊主な感じだろうか。
でも、僧職は修行してるから、怠けてるわけじゃないし。
かと言って暇なのもな。
……贅沢な奴だ。
ああ、なんとぐうたらな性分なのか。
ほんとに私は人間なのかね。
人の皮を被ったナマケモノじゃないのか?
何かやりたかったことは無いか?
子供の頃は何したかったっけ?
何が好きだったっけ?
思い出せ。
………
……
…
小学校のころ。
よくやってたのは、読書かな。
ゾロリに始まり、ズッコケとか偉人の伝記、学習漫画の類をよく読んでいた。
高学年からは西遊記とかナルニア、水滸伝、三国志、八犬伝を読んだのは覚えてる。
反対に児童文学や純文学はあまり読まなかったな。
食指が動かない。
今でもそうだ。
読もうとすれば読めると思う。
坊っちゃんとかは読めたし。
坊っちゃんが純文学なのかはさておき。
たぶん、判りやすくドラマチックなのが好きなんだろうな。
漫画みたいに。
漫画と言えば、昔はよく読んでた。
アニメも見てた。
最初はガンダムにハマり、その漫画を探してる時にハルヒに出会い、その後はひぐらしを読んだ。
その少し後に、ファフナーを知った。
SEEDと同じキャラデザの人で気になってた。
案の定どハマリした。
のめり込んだ。
シナリオは難しくてさっぱりだった。
それでも、主人公たちが、痛みを抱えつつ、その痛みと向き合い、生きようとする様が、たまらなく痺れた。
思えばこの頃から、SFかつ哲学的テーマがあるものに惹かれてたんだな。
これ書いてて初めて気づいた。
その割に頭は良くないけど。
これは、ずっと抱えてるコンプレックスだ。
だがその話はまたいずれ。
高校の終わりからは、自己の出自や信条に悩むようになった。
これは今もなお、悩まされている。
簡単に言えば、家の宗教に悩まされていた。
信仰とは何ぞや?
その答えを出すために、改めて宗教とその教えについて調べ、学んだ。
とても面白かった。
なんとも不思議でワクワクした。
ホントはそんな事を思っている場合じゃなかったのにな。
親に黙ってこっそり、他宗教の拠点に訪れたこともある。
バレたら勘当されるからね。
それに、結局、宗教とどう付き合うかも、まだ決めきれてない。
神仏への信仰心は無くはない。
が、世のため人のために、身を粉にして奉仕出来るかと聴かれたら、何も言えない。
やっぱり自分を犠牲にする生き方はしたくない、
少しは好きにさせて欲しい、
という気持ちもあるからだ。
かと言って、神様をまるっと無視して好き勝手に生きたいかと言われると微妙だ。
ちょっとは役に立ちたい、という気持ちも本当にあるからだ。
どうにも宙ぶらりんなのである。
また、自己啓発にものめり込んだ。
7つの習慣とか、色々読んだ。
いわゆるハウツー本、時間術とか仕事術とかも読みだした。
これも面白かった。
人生への深い考えに触れるのが楽しかった。
他には、自分を変えたくて、コミュニケーション改善の為に、情報教材にも手を出した。
慎重な下調べが功を奏し、幸いにもクズ教材は掴まなかった。
そこに書かれた独特のノウハウや知識、経験は、確かに希少、かつ有用なもので、大いに知識欲を刺激してくれた。
お陰でコミュニケーションの知識はそこそこある。
だが、コミュニケーションは改善されたか、というと答えはNOだ。
何故かって?
前提を間違えていたからね。
私はコミュニケーションに不安を抱えていた。
その不安の原因は、
「コミュニケーションの技術が無いから」
だと思っていたんだ。
でも、本当の原因は、
「自分そのものを認められなかったから」
だったのだ。
私がやるべきはコミュ力の改善じゃなく、
「自分自身を認められるようになる努力」
だった。
自分の事しか興味ない、
それでいて中身は無く、
自己開示が出来ない奴に、心を開く人は居ない。
そんな当たり前の事に気づくのに、何年もかかった。
お陰で、友人は誰もいない。
自分のことも、好きになれないままだ。
………
……
…
振り返るに、私が好きなのは、
・SF
・ロボット
・哲学的テーマ
・読書
・英雄譚
・冒険もの
・宗教
・人生哲学
・自己啓発
と言う所か。
総じて、
・興味がある事(人生哲学的な)を調べたり、考えること
となるのかな。
うーん。
これをどう仕事に繋げればいいのか。
それこそライターくらいしか思いつかんが、文章書くの苦手だからな……
まさにこの通りセンスもなにも無いし。
飯の種になるとは思えないや。
好きなようにして生きてくのは、
やはり厳しい。